下のエントリを読んで納得いかなかったので反論。
人の行動が他人にどのように影響を及ぼすかを考察したメラビアンの法則によれば、影響が大きいものからビジュアル情報、音声情報、言語情報となる。その割合はといえば、それぞれ55%、38%、7%。早い話がパッと見の印象で半分ぐらい、声の質や大きさ、話し方などで残りの4割ぐらいが決まり、具体的に相手が語っている内容は、実は一割も影響していない(らしい)。
メラビアンの法則が完全に正しいかどうかはともかくとして、対面者が得る情報量に着目して考えれば、この順位は少なくとも当たっていると思う。つまり人間は視覚から得る情報量が圧倒的に多く、次が聴覚、そして最後が言語(意味)情報だということだ。
であるなら、それぞれの情報を処理するのに要求される能力はどうなるか。
誰かと対面している時がもっとも多くの情報をもっとも高速に処理する能力が求められるはずだ。次がたとえば電話で会話する時などであり、単にテキスト、それもTwitterに象徴されるような単文/短文を読むだけなら、求められる情報処理能力もうんと低くていい。
これは逆だ。対面での会話では視覚や聴覚の「助け」を借りて意思を伝える/読み取ることができる。しかし文章、それも単文/短文ではそれは不可能で、残りのたった7%の情報のみで意思を伝えなければならない。この制約された条件のなかでコミュニケーションを成立させるには、どう考えてもより高度な情報処理能力が必要になるはずだ。
Twitterの投稿やはてブコメントを書くときに、伝えたいことを制限字数内にまとめる難しさをいつも感じる。不特定多数に伝えることを前提とした単文/短文のコミュニケーションでは、今の自分の感情を受け手が知っていることは期待できないし、受け手もそういった補足情報のない状態で書き手の伝えたいことを推し量る必要がある。同じ内容を対面で友人に伝えるのだったらどれほど楽なことかと思う。
引用元のはてブコメントでも指摘されているが短文での表現が難しいからこそ俳句や短歌が芸術にまでなりえたのだし、この難しいコミュニケーションを少しでも上手く行うために絵文字や顔文字のような創意工夫も行われてきた。はてなスターだってそういう模索があって初めて生まれてきたサービスだろう。これの一体どこがコミュニケーション能力の低下なのか。
もちろんテキストを読むといっても、長文をしっかり読み込み行間や背景までを見通すとなれば、これはそうそう簡単なことではない。
ただしである。簡単ではないが、とりあえず目の前にテキストだけが提示された場合は、その解釈はほぼ100%読み手に委ねられている。どう読んでも構わないわけだ。どれだけシビアに、書き手の想いにまで配慮してテキストと向かい合うかは読み手の気持ち次第である。
解釈が100%相手に委ねられているのはどんなコミュニケーションだって同じ。対面していたって他人の話を聞かない人や相手の言ってることを理解しようとしない人間なんて山ほどいる。
対面でのコミュニケーションはおそらく、大げさにいうなら全身全霊を傾けないことには、ことばの本来の意味での「コミュニケーション」は難しいのだ。逆に考えれば、そうやって全身全霊を傾ければ、たとえ言葉の通じない異国の人とでも交流は可能だということである。
これもどんなコミュニケーションでも同じこと。伝える意思がなければ何も伝わらないし、読み取る意思がなければ何も読み取れない。一度、MMO(大人数の参加者が一つの世界を共有するタイプ)のネットゲームをやってみることをお勧めしたい。単文/短文どころかろくに言葉も通じない異国人同士であっても、頑張ってみればかなり意思の疎通ができるもので、対面だから交流が可能というわけでは全くない。
というようなことを考えるおじさんとしては、ケータイブログの普及による若い人たちのより一層のコミュニケーション能力低下が杞憂に終わることを祈るばかりだ。
祈るのではなく、まずは単文/短文のコミュニケーションの中に身を置いて、それを理解しようとしてみることから始めてはどうでしょうか。引き合いにTwitterを出されてますが、実際のところどれだけTwitter使ってますか?はてブコメント書いてますか?Tumblrとかは?
新しく生まれてきたものを理解しないままに質の低いものと思い込んでしまうことこそ、真のコミュニケーション能力低下ではないかと危惧します。


コメント (1)
このエントリに対するコメント:
「FPN-ケータイブログの問題点」には、あぁそうかもねぇ、とは思った反面、僕もinaさんと同様の違和感を感じました。個人的には、刹那的な感情を短文で友達と瞬時に共有する手段が生まれたことのメリットをもっと理解しようとした方が良いのではないかと思った。それらのサービスをコミュニケーション能力の低下と結びつけるのは、FPNを書いているご本人も気づかれているように、「おじさん」的な新しいものを受け入れられない傾向の表れではないかと…。
コメント日時: 2007年08月26日 12:18